「本町獣医科サポート」の獣医師 北島 崇です。
今までのコラムにおいて「QOLの維持のために…」とか「QOLの向上を目指す…」といった文章を書いてきました。
今回はこの「QOL」を少し違った切り口から考えてみようと思います。
目次
QOL:生活の質
QOLということば
QOLとはQuality of Lifeの頭文字で一般的に「生活の質」と訳されています。
近頃よく耳にすることばですが、実はいつだれが提唱したのかはっきりと判っていません。
戦後間もなく米国でがん患者の治療において、漠然としたイメージとして使われたのが最初のようです。
そして1960年頃には同じく米国において「物質よりも生活の豊かさを重視する」という社会政策の1つとしてQOLという言葉が登場しています(九州保健福祉大学福本安甫 氏2005年)。
QOLの意味
現在、QOL(生活の質)はどのように定義されているのでしょうか?
日本語に関する研究機関である国立国語研究所の解説を始め、いろいろ調べてみるとおおよそ次のようになります。
・本人が納得できる生活
・満足感をともなう生活
・幸福感が得られる生活
ここまでヒトのQOLについて述べてきましたが、ここからペットである愛犬や愛猫のQOLについて話を進めます。
QOLの成り立ち
4つの分野
QOLというとすぐに頭に浮かぶのが「痛みのない生活」ですがこれだけではありません。
私たちヒトのQOLは大きく4つの分野から成り立っています。これをペット向けに少し手直しすると次のようになります。
●身体的な分野
:主に健康に関連する日常生活の項目
●心理的な分野
:ストレスや気分、感情など精神的な項目
●社会的な分野
:家族・オーナーとの生活やヒトとの交流に関係する項目
●環境面の分野
:住居構造や自由な運動など生活環境に関係する項目
以上の各項目について私たちのペットはどれくらい納得し満足感を伴う生活を送っているのでしょうか?
5つの自由
先程、QOLを構成する4つの分野のうち社会的分野において「家族・オーナーとの生活」を上げました。
これに関連することばで「5つの自由」というものがあります。
このことばは1960年代に英国で提唱された動物福祉の基本となる考え方です。
対象はペットだけではなく家畜(ウシ、ブタ、ニワトリほか)や実験動物(マウス、ラットほか)など「人間が飼育しているあらゆる動物」です。
①飢えと渇きからの自由
…適切なフードやきれいな水を与える
②不快からの自由
…清潔で安全な環境において飼育する
③痛み・傷害・病気からの自由
…疾病の予防・診断・治療など健康管理を実施する
④恐怖や抑圧からの自由
…恐怖・不安・ストレスを与えない適切な方法で飼育する
⑤正常な行動を表現する自由
…行動するのに十分な空間を設ける、仲間との関係を配慮する
それぞれ「~からの自由」と訳されていますが、「動物たちからの要望(ニーズ)」と読み替えると判りやすいです。
私たちオーナーがこれらの「要望」に応えることがペットのQOLの向上につながります。
HAB:人と動物との絆
ここではQOLを構成する社会的分野のもう1つ「ヒトとの交流」について紹介します。
HAB(ハブ)?
みなさんはHAB(ハブ)ということばを聞いたことがありますか?
ヒューマン・アニマル・ボンド、すなわちHuman(人) Animal(動物) Bond(絆)の略で人と動物との絆やつながりのことです。
このHABの考え方を基にした人と動物とのふれあい活動として次の3つがあります。
動物介在活動(AAA)
動物介在活動(Animal Assisted Activities)とはレクリエーションなど動物とふれあうことによって精神的な安定やQOLの向上を目指す活動をいいます。
ボランティアの人達がイヌと一緒に介護施設などを訪問する活動がこれにあたります。
お年寄りが動物と楽しい時間を過ごすということが目的です。ちなみに近頃はやりの「ネコカフェ」もこのAAAの1つです。
動物介在医療(AAT)
動物介在医療(Animal Assisted Therapy)は治療行為の一環として動物を活用する補助療法をいいます。
医療従事者の主導により治療目標の設定やプログラムの作成、評価判定なども行います。
AATにはウマ(乗馬によるリハビリ)やイルカ(自閉症、発達障害の治療)などの情緒水準が高い動物が活用されています。
動物介在教育(AAE)
動物介在教育(Animal Assisted Education)は幼児の情操教育の1つです。
イヌなどの動物とのふれあいを通して生きていること(=エサを食べる、フンをする)や死ぬということ(=いのちの大切さ)などを学ぶ活動をいいます。
このように見ていきますとHAB(人と動物との絆)といっても安らぎや幸福感を得ているのはヒトばかりで、ペットのQOLとは関係無いような気がしませんか?
幸せホルモン
ヒトもペットもQOLの維持向上には幸福感がベースとして不可欠です。
この幸福感はどこから来るのでしょうか?
オキシトシン
私たちの脳から分泌されるホルモンの1つにオキシトシンというものがあります。
このホルモンは出産・子育て、愛情(男女、母子、親子)、ストレスの緩和・安心感などに関係しているため「幸せホルモン、癒しのホルモン」などと呼ばれています。
近頃は認知症の予防・軽減や自閉症の治療への応用などの研究が進んでいる関心が高いホルモンです。
イヌはなぜ可愛いのか?
愛犬を見つめて幸せそうに抱きしめるペットオーナーの方々がいます。
なぜイヌはここまでヒトの心を掴むのでしょうか?どうやら単なる気持ちの問題ではなく、このオキシトシンが脳をコントロールしているようです。
麻布大学の永澤美保 氏らが英国の科学雑誌ネイチャーに発表した「オキシトシンと視線との正のループによるヒトとイヌとの絆の形成」という論文が話題になりました(2015年)。
概要は次のとおりです。
●ヒトとイヌが視線を合わせると両者においてオキシトシンが分泌される
●この現象は動物としてはイヌが特異的に獲得した能力によるものである
●ヒトとイヌとの間には、ヒトの母子間で認められるオキシトシンを介する
生物学的な絆が形成されている
ここでのポイントは見つめ合いによってヒトだけでなくイヌにおいても幸せホルモンが分泌されているということです。
すなわちイヌはヒトとのアイコンタクトよって幸せを感じているということです。
ネコの幸福感は?
ではネコの場合はどうでしょう?残念ながら今のところネコにおいては見つめ合いによりオキシトシンが分泌されるという研究論文はありません。
麻布大学の小林 愛 氏がストレスのかかったネコにおいて腹部をマッサージすることによりオキシトシンの有意な分泌を認めた、という報告をしています(2013年)。
ネコは見つめ合いよりはふれあい(=マッサージ)によりリラックスや幸福感を得ているようです。
ペットがその生活に安らぎや幸福を感じているかの判断はオーナーの仕事です。
「5つの自由(要望)」は満たされているか?一方的な溺愛に満足していないか?など改めて考えてみましょう。
愛犬・愛猫との健康的な時間の共有はペットとオーナーの両者に幸せホルモン/オキシトシンの分泌を促し、そして両者のQOL(生活の質)の維持向上につながります。
執筆獣医師のご紹介
本町獣医科サポート
獣医師 北島 崇
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。