さて今回、ヨーロッパ11か国22都市を巡る旅をした中で、出会った犬たちについてお伝えしたいと思います。
とはいえ、あくまでも旅をとおして感じた筆者の主観的かつ素直な感想であり、それがヨーロッパの犬事情のすべてではないことを前提とし、日本以外の犬事情を少しでも知ってもらえたらと思っています。
そして、ヨーロッパの旅でのできごとも少し紹介しつつ、ご一緒に旅行気分を味わっていただければ何よりです。
目次
ヨーロッパの街中で見かける威風堂々とした犬たち
日本では、飼い主さんと愛犬の散歩風景を観ていると、リードに繋がれてチョコチョコと可愛く歩く小型犬の姿を目にする機会が多いですね。
昔は屋外で番犬として犬を飼うケースが一般的でしたが、室内犬の普及により小型犬の需要が伸びました。
最近よく見かけるのが人気の高いトイプードル、チワワ、柴犬などの犬たち。
戸建ての家からマンションなどの集合住宅へと、住環境の変化にともない「ペットと一緒に住める家」という文言がますます小型犬の需要を高めたといってもよいでしょう。
そんな犬たちを連れてなるべく人ごみを避け、早朝や夕方に公園などを散歩しているのが日本のごくごくふつうの散歩風景です。
では、ヨーロッパの住宅事情や散歩風景はどうでしょう。
郊外に行けば戸建ての家が多いですし、土地の規模や家の広さには目を見張るものがあります。
屋外に犬小屋でもあるのかと観察しましたが、そのような小屋を見ることもなく飼い主さんと家の中に入っていきます。
また、都市部では集合住宅やアパートメントが目立ちますが、日本のように細かく部屋が区切られているような間取りではなくて、開放的な広さが確保されているようです。
集合住宅やアパートメントなどは共有のドアから建物に入り、そこから各家々に分かれているのですが、堂々と共有ドアの中を出入りする犬たち。
ヨーロッパでは、戸建てであっても集合住宅であっても犬を家の中で飼えるのだということがわかります。
次にヨーロッパの散歩風景をリサーチしてみました。
公園などはもちろんですが、観光客でごった返す名所でも平気で散歩しています。
朝だろうが夜だろうが、昼夜を問わず飼い主さんとともに行動する犬の姿と数多く遭遇しました。
たとえば、ドイツのケルン大聖堂の周辺では世界中から観光客が押し寄せていて、その前の広場や大聖堂に通じる幅の広い通りも人で埋め尽くされています。
そこをリードに繋がれ堂々と歩く犬の姿は、遠くからでも確認できます。
ヨーロッパで見た犬は大型犬が多く背丈もありますし、伸びた毛がモコモコとして一層大きく見えますから、人ごみの中でも存在感があります。
また、しつけがゆきとどいているせいか、他の犬に飛び掛かったり人に飛びついてきたりするようなことは、まずありませんから、大きさに圧倒されることはあっても、危険を感じることはありませんでした。
しかし、セントバーナード、グレートデーン、ニューファンドランド、オールド・イングリッシュ・シープドッグ、コリー、エアデールテリアなどが道を歩いていると、あまりの大きさと誇らしげに歩く様子に、反射的に道を避けてしまうのは、本能ですね。
石畳はステキだけれど、犬の足は大丈夫?
日本の場合、駅を中心に街や町、村の発展が見られますが、ヨーロッパは古くから教会と市庁舎の広場を中心に開けて賑わいを見せてきました。
近年では旧市街、新市街という分け方をしていますが、旧市街の古い街並みには歴史の重みを感じさせるレンガ造りの建物がたくさん残されていて、それらを今も大切に仕事場、お店、住居として使い続け守り続けていく人々がいます。
歴史を重んじたり誇りに思ったりする気持ちが、建物を大切にする精神を育んでいるのでしょう。
そのような重厚な建物の中に消えてゆく犬たちを見ていると、彼らにもその精神が理解できているのではないかと思うほど、犬たちの態度に凛としたものを感じます。
ヨーロッパの旧市街では大昔より道は石畳で、レンガ造りの落ち着いた建物と同様にステキな風景を作り出しています。
その上を観光用の馬車が、蹄の音を立てながらパカパカと通り過ぎる姿は、中世にタイムスリップしたような気さえします。
しかし、その石畳も車や多くの観光客、そして彼らがガラガラと引きずるスーツケースのコマで傷みつけられ、地面に埋め込まれている四角いブロック状の石は、欠けたり割れたり剥がれたりして凸凹しているために足を捻ることもあります。
それらを修復している作業場面にも出くわしましたが、こっちを直してもまたあっちが傷むという繰り返しのようで、大変な作業です。
石畳の敷き詰められている面積を考えると、永久に終わらない気もします。
そんな風景を見るにつけ、このような石畳の上を歩く犬の足は大丈夫なのかしらと気になります。
日々の生活の中で、これだけ人ごみの中を歩いたり、石畳の道、コンクリート使用の駅構内などを歩いたりすることの多い犬ですから、それにともなうリスクがどこかに潜んでいるのではないかと、目の前を通り過ぎる犬の足についつい視線を向けてしまいます。
↑ 石畳の風景 馬車 & 犬の散歩
どこにでも必ず居る犬たち
「ユーレイルグローバルパス」という乗り放題の列車のチケットを使いまくり、EU間の22都市を25回に渡って、これでもか~というくらい列車で移動しました。
まず、イギリスからドーバー海峡を渡りベルギーへはユーロスター、ベルギーからケルンへはICE、プラハからウィーンへはレイルジェット、ザルツブルクからスロベニアのリュブリャナへは、ユーロシティーを利用しました。
次いで、イタリア内へ入るとフレッチャロッサやインターシティー、フランス内ではレジオナーレやテロやTGVを使っての列車旅。
どの国の駅も日本と比べものにならないくらい巨大です。
『ハリーポッター』の場面に出てくる「キングクロス駅」のホームは全部で15ホームくらいあります。
ローマのテルミニ駅では29ホーム、ドイツのミュンヘン駅においては36ホームです。
横幅も縦の長さもメガサイズ。
出発の20分くらい前にようやく到着ホームが掲示され、それを見て一斉に乗客が小走りでホームへ向かい、乗り込む車両を探し、やっとのことで席に。
息をゼィゼィ言わせながら座席に体を委ねる瞬間こそ、至福のひとときです。
そして、どの列車で移動しても必ず目にするのが、たぶん世界の果てに行ってもあるのではないかと思うハンバーガーショップ。
あの「M」のマークで有名なあのお店。
そして、それと同様にリードに繋がれて駅構内、列車内、ショップ…と、どこででも出くわすのが犬たち。
各都市の地下鉄「メトロ」や路面電車の「トラム」が、人々の交通手段なのですが、それぞれの駅や乗り物でも、絶対といっていいほど犬たちはふつうに乗車しています。
飼い主さんと出勤する犬もいます。
カートやゲージやバッグに入れられた犬ではなくて、飼い主さんといっしょにふつうに列車や電車を乗り下りする犬たちは、まず日本では考えられませんね。
↑ 列車に乗っている間、ずっと彼女は愛犬とジャレ合って抱いたまま。
“Can you look after my baby for a few minutes?”
(私のかわい子ちゃんをちょっとの間、見ていてくれる?)
と、私の返事を聞くまでもなく、突然、通路を挟んで座っている私の足元に愛犬の入ったバッグを置いた彼女。
“OK” 以外の返事のしようが無い状況。
預かっている間、鳴きもせず吠えもせずにおとなしくしている子犬(リード無し)
↑ 列車の通路でお座りをしてじっと乗車する犬(リードは有り)。
ときどき飼い主の女性の座っている膝の上に座ったり、横の空いている席に座ったりしていました。
日本の駅で犬を目にするというと、盲導犬や介助犬くらいしかありませんし、たまにゲージや専用のバッグに入れた犬を見かける程度です。
しかし、ここでもリードに繋がれた犬は人と同じように、列車や地下鉄に乗って通勤したり旅行に出かけたりしています。
また、近年、ヨーロッパでは相次ぐテロ対策として、至るところでポリスや兵士は銃や自動小銃を光らせていますが、そのような中に混じって警察犬も犯罪を未然に防ぐため、いっしょに駅構内や列車の中を巡回していました。
テレビで警察犬を観ることはあっても、日常的にこのような光景を日本で目にすることは、ほとんどありません。
もちろん介助犬は別ですが、リードに繋がれてどこにでも居る犬というは、ある意味カルチャーショックでした。
駅だけに限らず、スーパー、デパート、レストランなど、日本では絶対にありえないような場所でさえ、犬がいるというのが、ヨーロッパの日常なのです。
しかし、こういう日常的な習慣に驚いてばかりはいられません。
ヨーロッパでは人と犬との関係性がいかに密であるのか、という犬の社会的な存在の大きさが見えてきたからです。
ヨーロッパの犬が社会に受け入れられる理由
なぜ、このように街の至るところで犬はふつうに過ごすことができるのでしょう。
ヨーロッパの中でも特に、犬の保護について先進国といわれているドイツをひとつの例にとってみると、ドイツでは動物保護に関する法律として「ライヒ動物保護法」が1933年に公布され、その後、いくたびかの改正を経て現在に至っています。
・子犬を生後8週齢以前に母犬から引き離してはいけない。
・犬の戸外での運動、犬の繁殖、屋外飼育、屋内飼育の環境、檻の大きさ、給餌などの規制。
上記は保護法のほんの一例に過ぎませんが、飼育者やブリーダーへの規制がこと細かに定められているのは、「犬は物ではなく大切なパートナーである」……という意識を社会全体がもっているからです。
古くから日本とヨーロッパ諸国では、犬に対する意識が違っています。
日本では、不審者の侵入を防いだり、また農作物を荒らす天敵を追い払ったりする「番犬」という役割を担ってきたため、戸外での飼育が主なものでした。
しかし、ヨーロッパなどの歴史を観れば、犬は狩猟の際に獲物を追跡、獲得するという大きな役割を担い、人間との関係性においては大切な「パートナー」として家族のように扱われてきました。
ですから、長い歴史の中で培われてきた風習や習慣が、人と犬の間により深い親密性や信頼関係を築き上げてきたといえるでしょう。
このような背景から、特に動物保護に関する基本法が定められているドイツにおいては、国がしっかりと動物を守るという法律が整備されているのです。
ドイツを手本としてヨーロッパでは犬に対する社会性が広まっていったといわれています。
また、ドイツには「犬税」なるものがあります。
都市によって金額の違いはありますが、犬の飼い主には犬税の支払い義務が課せられています。
納税するとその証明として小さなプレートが与えられるのですが、犬を戸外に連れ出す場合には、このプレートを目につくよう犬の首元などの位置に付けなければならないという決まりがあります。
「私はちゃんと犬税を払っていますよ!」という市民としての責務を果たしているという証明ですね。
保護法全般や犬税など、これらの法律を守らなければ、罰則や罰金が課せられますから、犬を簡単に手に入れることも、安易に飼育することもできないのです。
このように動物をとおして人としてのモラルや責任が問われていることからも、違法に犬を飼うこと、増やすことの抑止力にもなっています。
ドイツなどは、社会全体が犬をはじめ生きものの命を人と同じように捉えていますので、大切に扱う基盤がしっかりと根付いているのですね。
このような点は、大いに日本もお手本にしたいものです。
吠えない犬、飛びかからない犬
・列車に同乗する犬たち
・レストランで飼い主さんの足元でじっと伏せをしている犬たち
・駅、観光地の人ごみでおとなしく歩く犬たち
・他の犬とすれ違っても飛びかからない犬たち
上記のシチュエーションは日本ではどうでしょう。
まず、電車や地下鉄でリードに繋がれて乗車している犬はいないです。(介助犬を除く)
レストランなど食べものを扱うところへ入店するのは、衛生面を考えるとありえません。
上記の電車と同じく、駅でも介助犬以外は飼い主さんと歩く犬を見かけることもまずありません。
散歩などで他の犬と遭遇すると吠え合ったり、飛びかかったり向かっていくことは結構あります。
見知らぬ人が家を訪ねてきたら、毎回これでもかっ!というほど吠え続けます。
このように日本では、さまざまなシチュエーションの中で、犬は何かしら吠えるのがふつうです。
しかし、私はこの旅でたくさんの犬と遭遇したにもかかわらず、犬が吠える場面をヨーロッパ各地で見たことがありません。
一度だけ聞いたといえば、駅をパトロールしている警察犬が「ワン!」と吠えたくらいです。
ヨーロッパのどの国に行っても、「犬が吠えない」「飛びかからない」ことが、とても不思議でした。
吠えないことに関しては、声帯の矯正でもしているのかしらと最初は疑いもするほどでしたが、どの国に行っても同じで、吠えないことが実はふつうなのだと旅を続けていくうちにわかりました。
では、なぜ、人ごみの中でも吠えないのか
なぜ、人にも他の犬にも飛びかからないのか
何かそこに、日本との大きな違いが潜んでいるのではないと、考えるきっかけがうまれました。
徹底した「しつけ」
犬を連れているヨーロッパの飼い主を見ていると、みなさん、自信に満ち溢れています。
ヨーロッパでは犬の「しつけ」にとても重きを置いています。
犬がしっかりしつけられているということは、その犬の飼い主にモラルと責任感が十分に備わっているという証となるのでしょう。
犬を連れ行動することは、他者に迷惑をかけないというのが社会のルールとして定着しています。
ですから、移動手段として公共の交通機関が自由に使えたり公共の場所への出入りが可能だったりするのです。
家庭で行うしつけや訓練学校でのトレーニングなどが徹底されている点が、日本のしつけとは異なる点かもしれません。
日本のしつけといえば
「お手」「おかわり」「お座り」「伏せ」「待て」「よし」
という一連の動作ができることで、「よくできたねえ」「えらかったねえ」「おりこうさんだねえ」と犬を褒めます。
では、こういう例はどうでしょう。
「お手!」と号令を掛けてうまくできると、愛犬を褒めるのはいいのですが、お手をした動作に対して「カワイイ~」とやたら称賛し、おやつをねだるそのかわいい動作が見たいがためにまたおやつを与えてしまうという飼い主さん。
これでは、おやつのもらい方を覚え込ませているだけで、しつけとはいえませんね。
おやつの役割は、「正しい」ことを教えるための「しつけの手段」のひとつです。
しつけができていないのにおやつを与えてしまったり、カワイイという理由でおやつの回数が増えてしまったりすることは、結局、主となる食事を食べなくしてしまったり、飼い主さんの指示を守れなくなるわがままな犬を育ててしまうだけなのです。
これはあくまでも家の中だけで通用する行動であって、一歩外の世界に行けば何の効果も発揮しません。
本当に必要なのは、人も犬も社会性を養うことなのです。
さらに、犬も社会の一員なのだという意識を、社会全体で高めていくことです。
・来客時や散歩時などでやたらと吠えたり威嚇したり飛びかからない
・決められた場所で排泄する
・名前を呼ばれたら反応する
・いたるところへマーキングしない
・人や他の犬やものなどに噛みつかない
・リードを嫌がらずに装着する
・犬のペースで散歩しない
上記のことができているでしょうか。
飼い主さんと愛犬、そして他者との交わりの中でどういう行動を取ればいいのかを、しっかりと教えていくことが「しつけ」なのです。
「しつけ」とは、何度も何度も繰り返しながら習慣づけていくという意味合いをもっています。
漢字の「躾」は「身」と「美」という二つが合わさっています。
身を美しく整えるというのは、外見上の繕いだけではなく内面の健康が作り出す美しさと、そして所作の美しさのように思います。
愛犬も質の良い食事と運動をとおして体づくりをし、内面から元気に身を整えることと。
そしてそれに加えて、よい習慣を身に着けることで社会性のある行動がなされるように思います。
近い未来には、日本の犬がヨーロッパのように、堂々と公共の場で社会参加できる日がくることを願わずにはいられませんね。
愛犬に生肉を与え続けて10年の川瀬隆庸が監修
代表取締役 川瀬 隆庸
- 社団法人 日本獣医学会 正会員 会員No.2010172
- 財団法人 日本動物愛護協会 賛助会員(正会員)No.1011393
- ヒルズ小動物臨床栄養学セミナー修了
- 小動物栄養管理士認定
- D.I.N.G.Oプロスタッフ認定
- 杏林予防医学研究所毛髪分析と有害ミネラル講座修了
- 正食協会マクロビオティックセミナー全過程修了
愛犬の健康トラブル・ドッグフード・サプリメントなどアドバイスをいたします。