4月に入り暖かい春になりました。イヌを飼われている方々にとって、春は狂犬病予防注射の季節です。
目次
【狂犬病予防の3本柱】
ペットオーナーのみなさんにとっては狂犬病は聞き慣れた病気ですが、おそらく誰も見たことはないでしょう。なぜなら猛犬病は60年以上も日本では発生していないためです。
清浄国
日本はイギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどと並んでいわゆる「狂犬病清浄国」です。しかし狂犬病は今でも現役の人獣共通感染症です。世界中で年間およそ5万5,000人、アジアだけでも3万人の人が死亡しているトップクラスの感染症の1つです。
狂犬病は狂犬病ウイルスの感染によって起こる病気ですが、その対象はイヌだけではなく哺乳類全般です。したがって、ヒトはもちろんペットのイヌやネコ、家畜、その他野生動物ではキツネやタヌキ、コウモリなども感染します。
アジアやアフリカなどの大陸にある国々では、ペットというよりはこのウイルスをもった野生動物が自由に国境を行き来します。このため、国単位で狂犬病を抑え込むには島国はとても有利です。日本が狂犬病の清浄国である背景の1つに、外国との国境がないことがあげられます。
狂犬病予防法
日本が狂犬病清浄国であるのは島国というだけではありません。それは狂犬病の発生をコントロールするための法律のおかげです。狂犬病関連の法律には「感染症法」や「家畜伝染病予防法」がありますが、中心となるのは1950年に制定された「狂犬病予防法」です。
次の3つは国内で狂犬病の発生を防ぐための具体策で、狂犬病予防の3本柱といわれています。
❶輸入検疫
…空港や港における海外から輸入される動物の検疫
❷野犬の捕獲
…保健所による野犬の捕獲
❸飼育犬の登録と予防注射
…登録、鑑札の交付、年1回の予防注射
これら3つを徹底することにより、ヒト(1956年)、ネコ(1957年)を最後に国内での発生事例はみられていません。しかしこの法律ができて70年が経過し、現在みなさんのペット生活においては、いろいろな面でズレが生じてきています。
【予防注射】
狂犬病の予防注射、すなわち愛犬へのワクチン接種はオーナーの義務です。ということは日本中で飼われているイヌはすべて注射されているはずですが、実際はそうではありません。
年1回の予防注射
現在、狂犬病の予防注射は1年に1回ですが、昭和60年までは年2回実施されていました。幸運にも日本では狂犬病の発生がないため、年1回のワクチン接種が本当に効いているのか、実感しづらいのが正直なところです。
予防注射の有効性を確認するのに「抗体価」の測定という方法があります。抗体価とはワクチンを注射することによって体の中にできる抗体の量のことです。抗体価の単位は測定方法によりいろいろですが、この1つに「~倍」というのがあります。数値が大きいほど抗体価が高いと考えてOKです。
では、その抗体価を確認してみましょう(江副伸介ら ㈶化学及血清療法研究所 2007年)。これは12頭のビーグルを用いて、狂犬病ワクチンを1年間隔で2回注射した場合の抗体価の動きです。
1回目の注射後、抗体価は平均192倍まで上昇し、その後ジワジワと下降します。12か月経過すると54倍まで下がりますが、ここで翌年のワクチン接種を行うと一気に3,069倍まで急上昇します。
狂犬病の感染を防ぐのに必要とされる抗体価は25倍とされています。以上の成績から、年1回の予防注射でも1年間は有効抗体価を下回ることはなく、狂犬病の感染予防が担保されるということが確認できます。
地域別注射率
厚生労働省のHPには「狂犬病予防法に基づく都道府県別の犬の登録頭数と予防注射頭数等」という表が掲載されています。これを見ると47都道府県では予防注射の実施率に差があることが判ります。ちなみに最新の令和元年のデータを見てみると、注射率のトップ3とワースト3は次のようになっています。
○上位3県
…山形県(90.6%)、長野県(89.1%)、青森県(87.7%)
○下位3県
…香川県(58.9%)、福岡県(57.7%)、沖縄県(51.6%)
みなさんがお住いの地域の狂犬病ワクチン予防注射率はどれくらいでしょうか?
目標70%達成?
今紹介した注射率とは(注射頭数)/(登録頭数)=割合(%)のことです。日本全国としてのデータでは登録頭数(約610万頭)、注射頭数(約440万頭)でワクチン注射率は71%となっています。
近頃ニュースでよく耳にするWHO(世界保健機関)は、狂犬病の蔓延を防ぐためのイヌへのワクチン注射率を70%以上としています。これからすると日本全体では注射率71%でなんとか目標をクリアできていて一安心です。しかし、みなさん何かおかしな点に気が付きませんか?
私たちが知っているペットの頭数であるイヌ850万頭、ネコ950万頭という数値は日本ペットフード協会の報告による「推定飼育頭数」です。狂犬病予防法ではイヌを飼う時に市町村への登録が義務付けされています。これより飼育頭数(850万頭)と登録頭数(610万頭)の差240万頭のイヌが無登録で飼われているということになります。
この数値を元に計算し直すと、狂犬病ワクチンの注射率はおよそ52%となり、WHOの推奨値を大きく下回ってしまいます。今から35年ほど前に狂犬病の予防注射が年2回から1回に改訂されたのは、必ず毎年1回行うことが大前提でした。現在、このベースが崩れてしまっています。
【幼齢犬と予防注射】
狂犬病予防法ではワクチン接種が義務付けされていますが、これは「91日齢以上の犬」が対象です。法律では生まれてから90日すなわち3か月までの幼齢犬には、狂犬病の予防注射の義務を課していません。
なぜ「91日齢以上」なのか?
ここで1つ疑問が浮かびます。なぜ生後3か月までのイヌにはワクチンが必要ないのでしょうか?この答えのキーワードは「移行抗体」です。
移行抗体とは、母犬の初乳(=分娩後1週間くらいまでの母乳)を飲むことによって子犬が受け取る抗体のことです。簡単にいうと母犬から子犬に送られる抗体のプレゼントです。この移行抗体には次の3つの特徴があります。
①母犬の抗体価が高い(低い)と初乳中の移行抗体価も高い(低い)
②子犬が受け取った移行抗体は時間の経過に伴い徐々に消失する
③一般的に子犬の移行抗体は生後90日ぐらいまで持続する
子犬が産まれて母犬の初乳をしっかり飲んでいれば、90日齢までは狂犬病に対する移行抗体が残っていて感染から守ってくれます(守ってくれるはずです)。このことから法律では移行抗体が消失する「91日齢上の犬」を対象に予防注射の義務が課せられています。
幼齢犬の抗体保有率
子犬がもらった移行抗体は、いわば母犬からの「お小遣い」です。最初にたくさんもらえれば何日間も残っていますが、少ししかもらえないと早く使い切ってしまい90日齢以前に無くなってしまいます。
ということで、本当に幼齢犬はしっかりと狂犬病の移行抗体をもっているのか?と次の疑問が浮かんできます。この点について日本小動物獣医師会の佐伯 潤らは幼齢犬の狂犬病抗体保有率を調査しました(2015年)。
動物病院に来院した91日齢未満の幼齢犬のうち、狂犬病ワクチン未接種216頭の移行抗体保有率を調べると15.7%(34頭/216頭)でした。この34頭の内、母犬のワクチン歴が確認できたものの割合は68.8%(11頭/16頭)でした。
これよりすべての幼齢犬が90日齢まで移行抗体をキープしている訳ではないこと、そしてこの背景には母犬への狂犬病予防注射の有無が大きく関係していることが判ります。
幼齢犬へのワクチン接種
佐伯はもう1つ興味深いことを報告しています。それは子犬の入手先との関係です。調査対象の幼齢犬216頭の入手先別で移行抗体保有率を見てみると、次のように2つのグループに分かれました。
《比較的高いグループ》
ブリーダー(28.6%:10頭/35頭)
自宅出生(30.4%:14頭/46頭)
《比較的低いグループ》
ペットショップ(8.3%:2頭/24頭)
動物保護センター(7.2%:8頭/111頭)
ペットショップや保護センターから入手した幼齢犬では、母犬からの受け取った移行抗体は最初から少なく、90日齢前に消失してしまっているケースが多い様です。この理由はさまざまですが、初乳をしっかり飲む前に母犬から引き離された、母犬への予防注射が実施されていないなどがあるでしょう。
法律では91日齢未満のイヌには狂犬病の予防注射をする義務は課せられいませんが、この調査報告から幼齢犬にもワクチンを接種する必要があると考えられます。
海外の国々と違って日本では60年以上も狂犬病の発生がありません。このため、予防接種の必要性を感じないペットオーナーも少なくありません。しかし、ひとたび狂犬病が発生・蔓延した場合、元の清浄な状態に戻すのには相当なエネルギーが必要になります。同時にイヌだけでなくネコやその他の哺乳動物を飼われているオーナー方々の生活にも大きな制約が求められます。
実質の狂犬病予防注射実施率70%以上をキープするためにも、愛犬と生活を共にされている方は、登録と鑑札の装着、そして年1回のワクチン接種を必ず実施してあげて下さい。
(以上)
執筆獣医師のご紹介
本町獣医科サポート
獣医師 北島 崇
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。