獣医師が解説

【獣医師が解説】ペットとの生活編:テーマ「咀嚼とペットの老齢ケア」

しっかりと食べ物を噛むことは体を温め、育ち盛りの動物の脳を刺激して知能をアップさせてくれます。では老齢動物の健康に対して、咀嚼はどのような作用があるのでしょうか?今回は咀嚼と脳の認知機能、そして寿命との関係について話をします。

【咀嚼と認知機能の関係】

咀嚼には丈夫な歯が必要です。しかし、年を取ってゆくと歯の数が減り、入れ歯を利用することになります。この入れ歯ですが大切なのは咬み合わせです。

咬み合わせと認知症

私はまだ入れ歯ではないため実感はありませんが、顎へのフィット感=咬み合わせが悪いと気持ちよく食事を摂ることはできません。義歯(入れ歯)の咬み合わせは、高齢者の咀嚼回数に大きく影響します。

高齢者の咀嚼機能と認知症発症率の関連性という少しドキッとする報告があります(池田和博ら 北海道医療大学 2000年)。入院中の要介護高齢者36人(男性9人、女性27人:平均年齢82歳)を対象に調査を行ったところ、次のような結果になりました。

《義歯の適正と自立度の関係》

○義歯良好群(20人)
  …生活自立(0%)、準寝たきり(50%)、寝たきり(50%)
○義歯不良群(16人)
 …生活自立(0%)、準寝たきり(25%)、寝たきり(75%)

《義歯の適正と認知度の関係》

○義歯良好群 …認知症発症者(45%)
○義歯不良群 …認知症発症者(75%)

このように入れ歯の咬み合わせが良くないと生活の自立度は低下し、認知症の発症率はアップしてしまいます。すなわち咀嚼と高齢者のQOL(生活の質)との間には密接な関係があるということです。

高齢者の噛む習慣

前回、幼稚園児に少し硬めの給食を与えたところ、噛む力や記憶力が向上したというデータを紹介しました。この作用は高齢者にも確認できます。80歳以上の高齢者にある程度の硬いものを食べる、一口につき30回以上噛むという食生活を6か月間してもらいました(佐藤智子ら 東京歯科大学 2015年)。

この食事法により、試験開始前と比べ一週間後の咀嚼力は4.17→4.83(15.9%増)に強化され、6か月後においても4.50(7.9%)と維持されていました。毎日の食事で噛む回数を増やすことにより、高齢者においても顎の筋肉は鍛えられ噛む力はアップします。

噛む習慣と記憶力

咀嚼をすると脳が活性化され、幼稚園児では短期の記憶力が向上しました。ここで気になるのは高齢者の場合です。まだまだ幼い脳においては学習能力に良い結果が表れましたが、80歳以上の高齢者ではどうでしょうか。

佐藤らは「仮名拾いテスト」という試験により記憶力を調べました。これは自分で読んだ仮名文字を2分後にどれくらい覚えているかを拾い上げてもらうというものです。結果は開始前よりも1週間後、1週間後よりも6か月後の方が良好であり、さらにこの傾向は噛む力が弱い高齢者グループよりも、強い高齢者グループの方がより高いというものでした。

以上より年齢に関係なく高齢者においても、意識的にしっかりとした咀嚼を続けることにより認知機能は高く維持されることが判ります。

【咀嚼と脳活動の関係】

ヒトと同じように、高齢ペットも認知症を発症することはよく知られています。認知症にはいくつかの型がありますが、基本的には脳の神経細胞が死滅してその数が減少してゆくというものです。

脳の細胞数

脳も体の臓器の1つであり細胞からできています。年を取るに従ってその細胞の数が少しずつ減ってゆくのは当然のことですが、なんとかそのスピードが緩やかにならないかと研究が進められています。老化の進行が速い認知症モデルマウスを使った次のような実験報告があります(土屋淳弘ら 愛知学院大学 2015年)。

●供試動物 認知症マウス
●グループ
  :A群 …離乳以降、固形のエサを給与
  :B群 …離乳~若齢期まで粉末のエサを給与、
若齢期以降は固形のエサを給与
  :C群 …離乳以降、粉末のエサを給与

上記3グループのマウスを5か月齢で解剖し、脳の中で記憶を担当する細胞があるエリアの面積を測定したところ、A群(131.5μm2)、B群(117.1μm2)、C群(112.0μm2)という結果になりました。固形のエサを食べる=よく咀嚼するという食生活をしているマウスほど、脳細胞の減少数が抑えられていたということになります。

脳の血流量

私たちヒトの体は60兆個の細胞からできていると言われています。この細胞が生きていくためには酸素や栄養が必要であり、これらを運んでいるのが血管と血液です。加齢により血行が低下すると、エネルギー供給が途絶えて細胞は死んでしまいますが、これは脳でも同じです。

全身の血液循環を活発にする方法に運動があります。しかし高齢者や高齢ペットの場合、筋肉や骨が弱っているため激しい運動はできません。全身はともかく、脳だけでも十分な血行は維持したいものです。中高年を対象にした軽い運動と脳活動の関係を調べた報告を見てみましょう(長島信太朗 神奈川歯科大学 2019年)。

●被験者 
健常者35人(男性24人、女性11人:平均年齢56.8歳)
●グループ
  対照群、座位足踏み運動群、ガム咀嚼群
●検査項目
  認知機能(注意力)、脳活動

認知機能の1つである注意力を調べるテストの結果です。3グループの間に正答率の差は確認されませんでしたが、回答までの反応時間は足踏み運動群とガム咀嚼群で短い傾向が見られました。

次に脳の活動指標として頭の中を流れる血液中の酸素ヘモグロビン濃度を測定したところ、試験実施前後においてガム咀嚼群の増加率が最も高い値を示していました。激しい全身運動が難しくなってくる中高年~高齢者でも、咀嚼という顎の運動は脳への血流量をアップさせることが判ります。

認知症の発症因子は様々ですが生活習慣、特に食習慣/咀嚼が大きく関与しているとされています。咀嚼による脳活動の活性化が認知症予防の一助になることは、ヒトと同じくペットにも言えることと思われます。

【咀嚼と寿命の関係】

ペットの認知症予防は大きなテーマですが、これと同じくらい関心が高いのが寿命ではないでしょうか。現在イヌ・ネコの平均寿命は14~15年といったところですが(もちろんもっと長生きのものもいます)、少しでも長く一緒に暮らしていたいというのはオーナー共通の願いです。

老化の進行を抑える

いつまでも年を取らない薬/サプリというものはありませんが、老化の進行を遅らせるものとして、DHA・EPAや以前紹介したゴマなどがよく知られています。ここではこのような機能性成分ではなく、咀嚼による老化抑制作用を紹介します。

朝日大学の平良梨津子らは、生存期間がおよそ1年間という老化促進マウスを固形エサ群(19匹)と粉末エサ群(15匹)に分けて老化の進行度合いを観察しました(1999年)。ここでいう老化の指標とは反応性や被毛の光沢・抜け毛、皮膚の状態、白内障の発症など11項目で、これらをスコア化したものを老化度指数としました。

結果では飼育開始12週ごろから両群の間で差が見られ始めました。粉末エサ群では速いスピードで指数がアップしていったのに対し、固形エサ群のマウスでは老化の進行が緩やかでした。咀嚼を必要とする固形のエサを食べていると老化の進行が抑えられるという結果になりました。

寿命を延ばす

すべてのマウスが自然死するまでの期間は、粉末エサ群が56週であったのに対して固形エサ群では83週でした。試験に用いた老化促進マウスの平均寿命は1年≒52週ですので、咀嚼をよく行う固形のエサを毎日食べていたマウスは、単純計算で50%近く生存期間が延びたことになります。

この長生きの背景には「咀嚼回数の増加→脳血流量の増加→酸素・栄養の供給増加→脳細胞の減少抑制→全身活動の維持→寿命の延長」という流れがあると考えられます。

幼いペットは賢く育てたい、高齢ペットは元気に長生きさせたい、というのはオーナーのみなさん誰しもの願いです。毎日の生活の中でよく噛んで物を食べるという簡単なことがこれらを応援する方法の1つです。時にはペットに少し硬めのフードやおやつを与えてみましょう。

次回は身近な噛み応えのあるおやつとしてのジャーキーを取り上げます。

(以上)

執筆獣医師のご紹介

獣医師 北島 崇

本町獣医科サポート

獣医師 北島 崇

日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)獣医畜産学部獣医学科 卒業
産業動物のフード、サプリメント、ワクチンなどの研究・開発で活躍後、、
高齢ペットの食事や健康、生活をサポートする「本町獣医科サポート」を開業。

本町獣医科サポートホームページ

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